喜多方と米沢を結ぶ R121 の旧道は通行止めだが、大峠隧道までは行けるのではないかと期待して喜多方側からアプローチしたものの写真のように九十九折の始まるはるか手前にゲートがあり、封鎖されていた。
それでは南会津の七ヶ岳周辺の林道を散策しようと目標を変更した。R121 を南下し、R49 へ右折、会津若松の市街地を避けて会津若松西バイパスから R118 に入って芦ノ牧温泉の GS で給油した。一旦北上し、写真の県道23 を走って、大内宿こぶしラインに入った。ここは 2008年 に逆向きに走ったことがあり、空いたワインディングである。大内宿は観光客で混んでいたものの、下郷まで快適に走ることができた。田島橋は6月下旬から来年の3月末まで補修のため通行止めなので、県道347 で迂回するようになっていた。
会津田島を過ぎて、R352 との分岐の手前を右折して、七ヶ岳林道を目指した。眺めの良い道が続くが、道の両脇には背の高い草が迫り、見通しは悪く、対向車が何時来るかとドキドキしながら北上した。砂利が結構深いのでペースを上げる事ができなかった。写真の林道開通記念碑のある広場では七ヶ岳の特徴的な山頂が良く見えた。
富貴沢林道との分岐を確認して、更に北へ下っていくと、YAMAHA XT660Z TÉNÉRÉ という珍しいバイクが止まっていた。声を掛けて、写真を撮らせてもらった。想像以上に背の高いバイクだが、車幅は狭く感じた。編者の体格ではとても跨ることさえ不可能なシート高であった。
R289 に出た時点で既に12時を回っていたが、適当な食堂もなく、昼食を摂らないまま多々石林道を目指した。駒止トンネル手前を右折すると、真新しい舗装路が続いた。舗装路が終わると突然道が無くなり、はるか下の方に道らしきものが見えた。歩いて確かめると、これが多々石林道らしいことが分かった。
最初の内は藪がひどく、浅いクレバスが続いた。深いクレバスがあっても避けるスペースはあり、少々路面は荒れ気味でもハンドルよりやや上にある枝さえ避けられれば、何とか通過できそうだった。開けた所では路肩の崩壊した箇所があり、バイクを落とさないように押しながら慎重に通過した。その内ガレて来て、岩がゴロゴロするようになるとバイクを支えていることが辛くなってきた。ガレている上に藪で路面が見えず、難儀した。いつもならエンデューロジャグを背負っているのだが、この日に限って水を持ってきていないことを後悔した。
空腹で何でもない所で転倒するとバイクを起こすことさえ苦痛だった。ハンガーノック、熱中症という言葉が頭をよぎった。とにかく体力を回復することを考えて日陰に横になって休んだ。
写真のような大きな石が並んでいるところでは、慎重にラインを選んで前進した。こういう時にこそ TT-R250 の厚いトルクと柔軟な足周りは頼りになったが、いかんせんハンドルを押さえる力が出せず、何度も休憩しながら進んだ。転倒して体力を消耗するよりも、押した方が安全と思った時はそうした。藪の中のつるに絡まり、ブーツのストラップを1本失った。
路面に大きな石が転がっている所を過ぎると小さな滝があり、その水で喉の渇きを癒した。この先は勾配も緩くなり、ようやく戸板峠に出た。写真で分かるように影が長くなる時間になっていた。
峠から下り始めると、西南の方角に雄大な景色が広がり、今までの苦労が報われるような気がした。何とかクリアできたものの、この林道を独りで走ることは勧められない。
R401 へ下る道にはゲートがあると聞いていたが、それらしいものは一切無かった。盆休みのためだろうか。伊南町の街に出て、R401 を南下し、小さな雑貨店の自動販売機でスポーツドリンクを買い、ゆっくりと飲んだ。
こんな時間でも開いている食堂はあるのだろうか、と探していると、R352 との T字路に写真の尾瀬の台所・コパンが見つかった。写真の合わせ味噌らーめんはニンニクの辛さが効いたスープが美味しかった。あまりにくたびれた顔をしていたのか、サラダとデミタスコーヒーをサービスしてくれて、有難かった。店内には写真家中島栄氏の撮影した尾瀬の写真が飾ってあった。
遅い昼食を終え、店外へ出ると日が傾き始めていた。日立まで 180km を一気に走ると、到着した頃には日は落ちていた。走行距離 510km の長い休日は終わった。