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日々の出来事 2001年以前

日々の出来事といっても日記ではなく、ツーリング等を記録するページである。


高萩の雪 2001/12/24(月)

高萩の雪

おそらく2001年に TT250R で林道を走るのは最後になるだろうと、高萩の山中へでかけた。R461 の常磐自動車道下の掲示板には、この先凍結のため通行止めとの表示があった。さて、どこまで行けるだろうかと進んでいくとトンネルをくぐったところで日陰に雪が残っていた。大能の物産展の先の路面は凍結していた。若栗へ抜ける林道へ入ると左の写真のように路面はほとんど雪で覆われていた。


東京から富士山 2001/12/23(日)

SRX400 で R6 を南下して秋葉原に行った際、江戸川にかかる新葛飾橋から東の空を見ると富士山が見えた。数日前に雨が降り、空気が澄んでいたためと思われる。このような幸運にはなかなか巡り合えないであろうから、何かありがたい心地がした。


仏具山 2001/11/18(日)

2001/10/12 は 2001/5/12 の続きでギャロップで F2 小湊へ遠征する予定であったが、直前に風邪をひいてしまい、欠席。20001/10/26 はギャロップのツーリングであったが、同日開催されたモデルの撮影会に参加して欠席。というわけで2001年最後のギャロップの林道ツーリング。

当日8時集合で5名集合し、8:10 出発。堅破山の脇から米平経由で R461 に出て途中お茶を買って、下大能から若栗へ抜ける林道を走る。若栗で1名加わって合計で6名となった。小神戸林道から大金田林道を走り、栄蔵室周辺の林道から林道弥太郎線を通って仏具山山頂を目指す。その日は天気も良く、頂上からの見晴らしも良かった。道を戻って、目兼林道へ入り勿来へ抜けた。給油してコンビニエンスストアで昼食にした。帰り道は北茨城、高萩の短い林道を走りながら14時頃日立に戻ってきた。普段はエンデューロレースに参戦しているという人が初めてこのツーリングに参加したが、かなり楽しんでいたようである。


もてぎ3耐 2001/8/25(土)

完走

ギャロップさんでチーム名「GALLOP with 30↑」として2001もてぎオープン7時間耐久ロードレースに参戦し、8/25に開催された3時間耐久で見事完走した。編者は写真撮影係りとしてお手伝いをした。左の写真はチェッカーを受けた際にピットにて完走を喜ぶライダーとスタッフである。

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もてぎの花火の祭典 2001/8/14(火)

花火

ツインリンクもてぎでは夏休みのイベントがあり、その一環として「花火の祭典」が催された。ギャロップさんに誘われて見に行った。15時に日立を出発したにもかかわらず、駐車場に車を停めたのは17時をかなりまわっていた。家族連れが多く、屋台もたくさん出ていたが、どこも人の列は長くて買い物するのもやっとであった。グランドスタンドでやきそばを食べながら始まりを待った。ピットから向こう側に仕掛けがしてあるようであった。さて19:30から花火が始まるとこれはもう見事という他はないくらい素晴らしいものであった。手持ちのバルブで撮影したのが左の写真である。何が何だかわけ判らない写真であるが、目の前一杯に繰り広げられる花火には観客も皆満足していたようである。平地で見るよりも階段状のグランドスタンドでは観賞もゆったりして良かったと思う。50分弱で終了したが見ごたえ充分であった。


吉原朋正氏の店へ行くその2 2001/8/4(土)

吉原氏と店の前で

1996/3/24に吉原朋正氏の店へ行った話を掲載したことを吉原氏にメールでお知らせしたところ、お返事を頂いた。水戸の銘菓「水戸の梅」を持参して、再び吉原氏の店にお邪魔した。

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福島県南部の林道 2001/7/28(土)

昨年の秋に八溝山で出会ったA氏と林道へ行く約束をした。当日 10:00 に八溝山山頂で集合の予定だったが、編者は25分ほど遅刻してしまった。さて行ってみると誰もおらず、しまったなぁと思って下って展望台に駐輪すると途中ですれ違った XR250 の方が休憩している。話し掛けてみると、今日来る予定だったB氏であった。後二人を待っていると遠くでエンジン音が聞こえる。更に下って見ると、A氏が TT250R で、C氏がセローでやって来るところであった。何でもC氏は林道を走るのは初めてだそうである。

さて、全員揃ったので今日の予定を相談して、編者が道案内で福島県南部から茨城県北部の林道を走ることにした。八溝山を北へ下ると久慈川源流脇を通る久慈川林道続いて大森林道から厨川林道、旗宿金山線と走る。途中曲がり角毎に後続を待っていたが、C氏がなかなか来ない。あまりに遅いので心配してA氏が探しに行くと途中で転倒したようである。バイクにダメージもないし、C氏の傷も大した事はなかったので続行することにした。一旦 R289 に出て表郷村から棚倉町に向かい、途中の中華料理店で昼食にした。棚倉町で給油して、四時川林道を目指す。藤ノ木沢林道から横川目兼林道を通って一旦川部へ抜け、R289 から四時ダム方面へ向かう。「おやじがんこそば」の脇から林道横川仏具線に入って、仏具山山頂で休憩する。山を西に下り、林道弥太郎線を通って県道27号線で花園神社へ向かう。駐車場の脇から林道へ入り、大金田林道、小神戸林道で今日の林道ツアーはお終いとした。既に夕方の18時であった。

さて汗を流しに十王町にある鵜来来の湯へ行くことにした。途中A氏が砂場で遊びたいというので、行ってみると連日のしけのせいか砂場はかなり深かった。山の減り気味の MT21 ではちょっとトラクションがかからなかったが、久し振りの砂場なので調子にのって奥まで行ってしまった。良く見るとC氏がスタックしたまま立ち尽くしている。助けに向ってみると、後輪はアクスルシャフトまで深々ともぐっていた。引っ張りだそうにも食い込んでおり、1人では不可能だったので周りを少し掘りA氏と協力して引きずり出した。

その後は鵜来来の湯でゆっくり温泉につかってからA氏の自宅で夕食をご馳走になった。充実した一日であった。


霊山 2001/7/8(日)

湯ノ岳PAにて

2001/4/29(日) の白河-羽鳥湖のツーリングに続くギャロップのツーリング。梅雨明けかと思わせるような快晴の中、宮城県と福島県の県境に近い霊山にアイスクリームを食べに行った。前回の5名から今回は一挙に25名の参加者であった。

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F2 小湊 2001/5/12(土)

参加者

2000年10月にギャロップF2 小湊で走行会を行ったが、今回はその復讐戦である。参加者は写真のように5名。走行終了後なのでちょっと表情に疲れが見える。ゴールデンウィークの翌週の土曜日のためか、バイクでコースに来ているのは我々だけ、後は7台ほどの四輪駆動の団体とジムニー2台の組だけの貸し切り状態。写真で判るように快晴の気持ちの良い日であった。

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渋温泉 2001/5/3, 4(木、金)

渋温泉

毎年恒例の名古屋のバイク屋バイク&バイク主催の渋温泉での宴会のあるツーリング。一日目は午前中雨に降られたが、二日目は快晴であった。前年までは TT250R で出撃していたが、本年は新兵器 SRX400 で参加することにした。写真は二日目の朝、宿屋の側の寺へ登る階段で撮影したものである。

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白河-羽鳥湖 2001/4/29(日)

天栄村にて

ギャロップで白河にラーメンを食べに行った。4/22に予定されていたツーリングが雨の予報(当日は晴れてしまったが)で順延になり、この日になった。当日は仕事の人も多くて、参加人数が減ってしまったのが残念であった。ツーリングに参加するのが初めての人もいたので極めてのんびりとしたペース。慣れない革パンツ、慣れない革ジャケット、慣れない SRX400 で、しかも先頭であった。

R349から猪鼻峠を越え、大子町、黒羽町、那須町からR294を通って白河市を抜けて、羽鳥湖のダムからR118、R294から再び、白河市に入り昼食。R289から棚倉町、R118から塙町、矢祭町、R349で全行程270kmであった。写真は羽鳥湖の南、天栄村の生産物直売所で撮ったものである。この写真ではほとんど見えないがCX-TURBOのサイドカーが居た。連休の初めであったが道が空いていて渋滞もなく走りやすかった。


里美村周辺林道 2001/3/25(日)

小神戸林道にて

2001年初ギャロップの林道ツーリング。近年まれにみる全国的な大雪のために写真の小神戸林道には部分的に雪が残っていた。この先の大金田林道はほとんど雪道で慎重に通過した。


吉原朋正氏の店へ行く 1996/3/24(日)

トモさんのサイン

吉原朋正氏を知ったのはオフロードバイク誌として有名なガルルの創刊第3号で YAMAHA のエンデューロレーサー TT350 でウィリーしている写真を見た時だと思う。シニサロのブーツが左右で色違いというのはかなりの洒落男ぶりであった。ガルル誌では氏の執筆する「トモさんの林道走破スーパーテクニック」という企画が長期間連載され、編者は欠かさず読み続けていた。

さて千葉県の YSP 貝塚まで一台目の TT250R で行ってみると吉原氏は居なかった。何でも新しい店を作っているという。地図で場所を教えてもらって TOMO レーシングサービスへ向かった。到着すると氏は壁か鉄骨に色を塗っていたように思う。もしかするとカウンターを作っていたかも知れない。とにかく御自分で店を作られていたことは確かである。お忙しいであろうに、編者の相手をしてくださった。想像していたように気さくで男前な方だった。記念にと持っていた地図の奥付けにサインをお願いすると快く書いてくださった。それが左のサインである。これは編者の大切な宝物である。